九州電力剣道部
OB会だより
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顧 み て
御船特別顧問挨拶
九電剣道部には、現役として35年間在籍しました。色々お世話になると共に、小世界を脱し得ない人生ながら今日まで育てて頂いた諸兄に感謝申し上げる次第です。

 昭和41年(1966年)に入部したのですが,当時はまだ戦後の剣道禁止の影響で剣道部の年齢構成は、若手か高年かの2極化にありました。チーム若返りの方針もあり、入社3か月後の高知大会にそれまでにない緊張感で出場したことが、つい先日のように思い出されます。  
デビュー戦はほろ苦いものとなりました。当時は古き良き時代で九州及び全日本実業団大会の前は、社命で1週間の合宿でした。午前中は、福岡大、午後は県警への出稽古です。4~5日も経てばもうクタクタでサロンパスの中に体ありの仲間もいました。厚生行事(仕事と同じに扱う行事)でありましたので、試合は労務部の方に引率を頂き、又、応援も盛んでした。
但し、それ故にプレッシャーも大きいものがありました。昭和40年代の全日本の出場権は、九州実業団の「ベスト8」でした。昭和41年九州実業団デビュー戦で「8」への道が大将戦となりました。 運良く勝つことができました。その時、労務部の故横野信義氏が「30万円の胴だ」と言われました。全日本出場は30万円の経費を要する、転じて30万円の価値があるという意味でした。敗れ去ったこと多々ですが、感激のシーンはよく憶えているものです。
当時の剣道部は、故山本太一郎先生と中根平治先生(ご両人とも九電OB)が中心となって指導されました。いろいろお世話を頂き、感謝申しあげると共に山本先生のご冥福を改めてお祈り申し上げ、また、中根先生のますますのご壮健を祈念します。

 一方、小生の入部以降の部長は、故永倉三郎氏(常務~社長~相談役)、故藤井亮一氏(工務部長~常任監査役)、井上哲男氏(人事部長~常任監査役)そして、今、上田憲幸氏(常務~副社長)と錚々たる顔ぶれです。

 今や実力を擁し、組織も強固な剣道部ですが、順風満帆できた訳ではありません。
まず、九電剣道部には道場がありませんでした。昭和50年頃、社員研修所の講堂建設があった時「床板を厚く」とお願いしました。今の体育館です。故城戸栄一郎副部長(当時営業部次長)と故藤井部長(当時常務)のご尽力で実現しました。
今の香椎道場は、当初、バレーボールも一面取れる総合体育館構想でしたが、剣道部は切り離しをお願いし、今の形となりました。当時は、稽古をする部員は、福岡地区では4~5人でしたが、10m四方、余勢5mの要望を出し実現しました。上田部長が尽力されました。 全社大会も名称に変遷がある通り、開催危機が相当ありましたが、部員の熱意で今日まで続いていますことは、ご同慶の至りです。

 最近では、平成12年全日本実業団3位、立花選手が全日本選手権3位、平成14年は九州実業団初のA・B優勝戦、立花選手の全日本選手権ベスト8など、素晴らしい成績を上げていることは、喜ばしい限りです。 剣道部員のチームワークの結晶と言えます。 各部員におかれては、目標を持った更なる練磨を切望致しますとともに、九電剣道部のますますの充実を祈念し、粗文ながら寄稿と致します。


                        

平成15年1月吉日
元剣道部副部長 御船正廣